ファシズムの背景を「権威と家族」に見る
エーリッヒ・フロム(中)
ベルリンのライヒの下で精神分析の研鑽を積んだフロムが、ホルクハイマーと出会うことで、具体的にホルクハイマーによる「学際的唯物論」プロジェクトの「目玉」となる研究、つまり「心理学的アプローチによる権威主義の研究」を任されることになります。
「マルクス主義研究週間」を主宰したフェリックス・ヴァイルをパトロンとしてユダヤ系左翼知識人を糾合し社会研究所が発足し、所長となったホルクハイマーは「学際的唯物論」を唱え、「社会科学」としてのマルクス主義の学問的横断化・体系化を企てました。
このため社会研究所の研究員らは各自専門部門をもっていました。この点について徳永恂氏は『フランクフルト学派の展開』で前回のチャート内容を次のように説明しています。
「1930年という年は、経済的には前年のウォール街に端を発した世界的大恐慌の波がドイツにも押し寄せ、それを反映してか、政治的には、ナチスが議会の第二党へ大躍進を遂げながらも……名実ともにホルクハイマーの指導下に移った社会研究所は、先の共同プロジェクト・プランに基づいて、哲学・経済学・社会心理学・文化論という四部門構成で出発した。……発足に当たってホルクハイマーが招致したのはフロムだけということになる」
フロムの労働者調査がプロジェクトの目玉に
このように、フロムが「フロイトとの融合」を企てるにあたり、当初から重要な役割を果たしました。 既述のスポンサーたるヴァイルが1929年11月、文部大臣に宛て、現在進行中の「主だった労働者と給与生活者の各層の物質的精神的状態」についての研究(フロムらによる「ドイツ労働者の意識調査」研究)は、「入手しうるすべての資料・記録だけでなく、包括的な独自のアンケート調査を行っており、その実施に当たっては指導的な労働組織と専門家の協力を得ている」旨を報告。フロムの携わった研究は社会研究所の文字通り「目玉」プロジェクトであったことが窺えます。
このフロムを中心とした研究「ドイツ労働者の意識調査」とはどのようなものだったのでしょうか。
ここで登場するのが代表作『自由からの逃走』でも主要なテーマとなっている「権威主義的性格」です。フロム自身の設定した「仮説モデル」が、保守主義=「権威主義的・マゾヒズム的」、自由主義=「二面感情的」、社会主義=「性器的(ゲニタル)・革命的」という政治的イデオロギーが、それぞれ3つの性格類型に対応する──ものでした。このうち「ファシズム=権威主義的性格」というテーゼが、やがてフランクフルト学派全体を貫く「イデオロギー」となったと言えます。
フロムの「調査」の実態と恣意性
しかし、労働組合役員を通じラインラント地域の労働者に配られたアンケートの回収率は33%にすぎず、無回答のものも散見されました。「量的な分析より質的な分析、記述的調査より解釈的調査」をめざしたフロムは、数字より「傾向」が重要││これは「科学」を標榜するはずが既にイデオロギーに固執した恣意性を示しているのです。
さて、このようにフランクフルト学派が労働者の意識調査から《権威と家族》とのテーマを導く上で対決したのがヘーゲル哲学でした。徳永恂著『フランクフルト学派の展開』によると、この《権威と家族》こそ、プラトンから19世紀まで「枢要な位置を占めていた」はずのテーマである「家族と国家」についての「偉大な伝統の最後」に立つヘーゲル哲学と格闘し批判を企てたものと見ています。
ではフロムとホルクハイマーはヘーゲル思想の何と格闘したのでしょうか。ヘーゲルにおいては、「家族」も「国家」も否定的なものとは見ておらず、キリスト教の精神的伝統と倫理道徳観念は、ヘーゲルの哲学理念と親和性がありました。
ヘーゲルは『法の哲学』で「個別的人格性を一体性において放棄して解放させる」と述べますが、言い換えると、結婚して家庭を持つことは「自己中心性」を放棄し、「より高次の一体性」を獲得できるとヘーゲルは「婚姻状態を倫理的義務」と考えたのです。
このような家族観・国家観を持つヘーゲルに対し、「学際的唯物論」を標榜するホルクハイマーとフロムはもちろん、これを「家父長的権威主義」と見なして否定しました。
このうち、《権威と家族》研究でのキーワードは「自発的服従」だ、と徳永氏は指摘します。そもそもこの概念が、「ファシズムの到来」を実現させた、と彼らは確信していました(フロムの調査当時はナチスの台頭はまだでした)。
しかしワイマール共和国の崩壊は以前から兆しが現れ、世界恐慌によって決定的な打撃となり、ドイツ経済は破綻したのです。
精神文化と物質文化を媒介する家族
ホルクハイマーとフロムは共同研究プロジェクト『権威と家族』の中で、社会学的なエートス論と歴史論、深層心理学的なオイディプス・コンプレックス論と各々異なるアプローチで「社会や家族の中の権威とそれに追従する精神」構造を探りますが、結局はキリスト教社会が「飼い馴らした」と見るのです。
さて、ホルクハイマーを中心としたフランクフルト社会研究所の「目玉プロジェクト」としてフロムが牽引した「権威と家族」の研究は、フロイト主義+「学際的唯物論」と称したマルクス主義によって打ち出され、それは基本的に「ヘーゲル哲学との対決」から成立したと言えるのです。
ヘーゲル哲学の説く家族論は、キリスト教の文化的基盤を背景とし、「文化破壊」を標榜する「学際的唯物論」からすれば当然、「反動保守思想」として敵視せざるをえません。
このプロジェクトのテーマとして「権威と家族」が定められたのにはどのような背景と意味があるのか。先述の徳永氏は『フランクフルト学派の展開』で別掲カコミのように述べます。
徳永氏はさらに、これらフランクフルト社会研究所の統合研究プロジェクト「権威と家族」のキー概念となっているのは「自発的服従」であるとし、俎上に挙げ問題視するのは、キリスト教社会における「家父長的権威構造」です。
「奴隷化した家長に隷従する」家族
徳永氏によるとホルクハイマーは次のように解釈します。「市民的家族の崩壊」すなわち「近代家族における家父長的秩序の崩壊」が到来したと見ると共に、家族内における家父長的権威構造の機能変化によって、今や家族は、家族外の権威(政治権力、あるいは「匿名の神」としての経済的必然性)へ同調する「人間類型」の温床となった──。
さらに、「市民社会の成立期においては、家長は、対外的に家族を代表し、家族を守ると共に、社会的威信がそのまま家族内の権威として通用するという『健全な交互作用』という側面を持っていた。ところが、市民社会の進展と共に、家長は、外にあっては『物象化された権威』としての経済的必然性の『奴隷』となりながら、内にあっては『主人』として君臨する。このように実体を失った家長の権威に服することによって、妻や子供は、二重の意味で、家長の権威に服することで同時に社会の権威に服従する」。
そしてそこに「『強制の内面化』による『自発的服従』という機能が働いて、家父長的権威構造の自己保存と再生産を助長する」というのです。
マックス・ウェーバーに由来するこの「自発的服従」という概念について、「ホルクハイマーはそれを人間学的、エートス論的側面から思想史的に跡づけ、後述するフロムは深層心理学的にそのメカニズムを解明する」と、徳永氏はホルクハイマーとフロムの「共同作業」についての全体像を描いています。
徳永氏が「自発的服従」をキーワードとする『権威と家族』における分析を図式化したものが、別掲のチャートのようになります。
ホルクハイマーは「強制の内面化としての自発的服従の倫理は、キリスト教のうちで培われてきた……馴致過程への摘発者として、ニーチェへ共感を寄せ」つつ、フロムはそこにフロイトから「オイディプス・コンプレックス」による罪責観念が「権威への服従」をもたらすのだと考えました。それは堪え忍ぶ苦痛というよりは「被虐的な快感」(道徳的マゾヒズム)に基づくものです。
フランクフルト学派の呪縛免れぬフロム
そしてフロムがナチズムと「自発的服従」との問題について分析したのが、主著『自由からの逃走』でした。これはむしろ、フランクフルト学派との「蜜月関係」が終わってから後に著されたものです。
フロムは人間から自由を放棄させるシステムとして機能した「ファシズム=全体主義」として糺弾したものの、その自由を放棄させてきたものは、ファシズムだけではありませんでした。それはフロムが幻想を抱いていた社会主義・共産主義体制にも共通にもつ傾向だったからです。
それをフロムはあえて故意にか無意識のうちにか、無視しました。それがつまりはフロム思想の限界でもあったと言えるのです。
たしかに今日、フロムは「フランクフルト学派」の思想家としては理解されてはいません。しかしながら、いくらフランクフルト学派から「離脱」したとはいっても、結局は、フランクフルト学派の「階級意識でとらえようとする」イデオロギーの呪縛からは免れていなかったのです。このためフロムはベトナム反戦平和運動は正しいと信じ続け、社会主義・共産主義体制下での「自由の抑圧」を認めませんでした。
プロジェクト・テーマを「権威と家族」とした背景
このような「哲学的構成と経験とを結ぶ」学際的共同研究のテーマとして「権威と家族」が選ばれたのは何故であろうか。それは家族というものが「精神的文化と物質的文化の間の媒介」をなすもの、あるいは「普遍的生が与えられた歴史的形態のうちで、自己を更新するもの」として、前記「社会哲学」の全体志向を充たす恰好のテーマだからであろう。だがこういう理論的な観点と並んで、いやそれ以上に、ここには「市民的家族の崩壊と権威主義的国家の成立との関連」を問おうとする実践的関心が働いている。ここに危機(クリシス)における批判(クリティク)をめざす「批判的理論」の核心があるように思える。
ヘーゲルが目の前にしていたのは、フランス革命とそれに続く一九世紀初めの反動の時期であり、ホルクハイマーが目のあたりにしているのは、ロシア革命と、それに続くワイマール共和国の崩壊とナチスの制覇という二〇世紀初めの現実である。この一世紀の間に西欧社会が経験した最も大きな変質の一つとして、ホルクハイマーは「市民的家族の崩壊」を目の前に据える。
(徳永恂『フランクフルト学派の展開』)
(「思想新聞」2026年6月15日号より)




















