文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜(53)

米流批判理論の見たフロム「母権論」

エーリッヒ・フロム(下)

 マーティン・ジェイ編『アメリカ批判理論の現在』(こうち書房)という書物が、現代の米国における「批判理論」すなわち、「フランクフルト学派」の影響の大きさを知らしめてくれています。

 この書がフロムについてどのように捉えているか分かるのが次の記述で、米国流の批判理論によるフロムの評価と「限界性」を表現しています。

「エーリッヒ・フロムはフランクフルト学派のメンバーの中でも、ジェンダーや男女の性差をめぐる問題の理論化に真剣に取り組んだ数少ない一人である。ある仕方で、フロムは、ある種のフェミニズム的マルクス主義やジェンダーの社会的に構成された本性に関するポスト構造主義的な分析を生み出す最近の試みを先取りしていたといいうる。

 とはいえ、フロムのジェンダー分析はきわめてむらのある、矛盾してさえいるものであった。それは、このテーマに潜むさまざまな困難性を指し示すものであり、たぶんまた、ジェンダーやセクシュアリティーというきわめてやっかいで抗争に富んだ系争点を分析する際に、これまで支配的であった男性的なパースペクティブを克服することがいかに難しいかということであるかを物語るものである。それゆえ、この論文で、わたしはフロムの著作のなかのジェンダーに関するさまざまな分析を分類し、かつ次の両方の側面を、すなわち現代のフェミニスト的なパースペクティブを彼が先取りしている側面と彼のテキストのなかに宿っている性差別主義や本質主義の側面の両方を指摘しようと思う」(『アメリカ批判理論の現在』第8章)

 ここからわかるのは、思想的背景と軌を一にしているのが、第2期オバマ政権における「同性婚の容認」という出来事です。この路線は2020年大統領選で勝利したバイデン政権でも受け継がれましたが、オバマ氏の次の第1期トランプ政権、バイデン政権後の第2期トランプ政権で否定されることになりました。

 日本では今世紀初頭、過激性教育などに象徴される「ジェンダーフリー教育」の問題が、教育現場で問題視され、心ある人々の尽力でかなり改善されたことは周知の通りです。「進化論教育」が裁判となるほど、日本以上に宗教界の影響力が強いにもかかわらず、米国では、「同性結婚の容認」の法制化が進んでいます。州レベルでは同性婚が禁止されている州もありますが、ワシントンDCなどの州では認められ、連邦最高裁で「連邦法の結婚防衛法(結婚を男女間のものとする)は違憲」とする判断が2013年6月に下されてしまいました。

04年に敗れた同性愛容認派が「復権」

 特にオバマ政権でヒラリー・クリントン氏に代わり国務長官に就任したジョン・ケリー氏(バイデン政権では気候変動政府特使)は、「同性愛者を支持する」と、2004年の大統領選でのブッシュ元大統領の対立候補時から公言していたほどで、第2期オバマ政権で同性愛者政策が加速するのは、ある意味「当然」だと言えるかもしれません。

 オバマ大統領が同性愛者に「共感」し、同性カップルに法的保護を与えることに賛成していることは以前から明白でした。2011年2月には、「結婚は男女間のみのもの」と定めた婚姻保護法は「違憲」との考えを示し、同9月には、同性愛者であることを公言して軍務に就くことを禁じた規定を撤廃しました。

 しかしながら、同性婚を認めることは、家族制度、婚姻制度の根幹にかかわる大問題であり、現在の日本が直面している問題でもあるのは確かです。

 同性カップルが、「子供だけは欲しい」となった場合、養子縁組によって「親」になるケースが増え、さらに「自分の血を引いた子を」との欲求から、精子バンクどころか「卵子バンク」や「代理母」などのビジネスが大手を振って跋扈することになりはしないでしょうか。すなわち、子を作るための異性は「子を生みだすための装置」と見なされはしないでしょうか。それこそ「人権侵害」にあたるのではないでしょうか。その挙げ句の果てに、「子供のペット化」した社会が到来するかもしれません。それは果たして、「子供の幸福」を念頭に置いた社会といえるのでしょうか。

 それが、「性と結婚・家族の多様化」の意味することであるなら、国家というものが社会システムの根幹から崩壊していくのは目に見えています。

同性愛を認めないとしてフロムを糾弾

 さて、こうした社会的背景には、「セクシュアリティの多様化」「マイノリティの権利保護」という思想・理論が「主流」となっている感があります。米国でフランクフルト学派の批判理論とポストモダン思想に連なるフェミニズムの立場は、フロムをどのように見ているのでしょうか。

『アメリカ批判理論の現在』の第8章「フロム、フェミニズム、そしてフランクフルト学派」を執筆したダグラス・ケルナー氏は「フェミニズム的マルクス主義やジェンダーの社会的に構成された本性に関するポスト構造主義的な分析を生み出す最近の試みを先取りしていた」と評価し、さらにモルガンやエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』に多大な影響を与えたバッハオーフェンの『母権制論』に関する論文では、「マルクス主義的社会主義と母性的文化とを等号で結ぶフロムの試みについては多分議論のあるところであろうが、他方、女性の解放に関する彼の関心と父権制に対する彼の攻撃には注意が払われるべきである」と評価しています。

 これら40年代前半までの研究は評価できる反面、、戦後、特に『愛について』などでは男性と女性のセクシュアリティの捉え方(フロムは生物学的な性的差異の分析を性行為における男性と女性とのあいだの顕著な差異と考えた)が、「異性間の性交をセクシュアリティーのモデルとして前提している」とし「堕落した」と断じています。つまり「同性間性愛」も考慮されなければ、「セクシュアリティ多様化」の「時代に合わない古い思想」と主張したいわけです。

バッハオーフェンの影響とマルクス主義

 さてここで、フロムの思想に立ち戻ってみましょう。前回「参考文献」で「バッハオーフェンを援用したフロム」として『アメリカ批判理論の現在』の一部を引用していますが、ここでもう少し、バッハオーフェンの『母権制論』について言及してみましょう。

 ヨハン・ヤーコプ・バッハオーフェン(1815〜87)は、スイスの文化人類学者、社会学者で元来は歴史法学派のサヴィニーに強く影響を受けた法学者でしたが、古代法の研究から転じて古代社会についての著作を発表して文化人類学に多大な影響を与えました。特に、古代においては「婚姻による夫婦関係は存在しなかった」とする「乱婚制論」や、「母権制論」を唱えました。

 バッハオーフェンの研究はルイス・H・モルガンにより発展・継承され、エンゲルスによる『家族・私有財産・国家の起源』に大きな影響を与えました。同書の序文でエンゲルスはバッハオーフェンに言及しました。更にヴァルター・ベンヤミン、フロム、トーマス・マン等に多大な影響を与えたと言われます。

 バッハオーフェンによれば、社会は「文化進化の4段階」を経るとしました。

①母権制前の「原始乱婚」段階。プロトアプロディーテを土着の支配神とした。②母権制。常習的神秘的カルトと法の出現と一夫一婦制で且つ女性支配の「月の段階」。デメテルを支配的神と考えた。③ディオニシアン。家長制度が誕生し始め父権化。ディオニュソスを支配的神と考えた。④アポロニアン。過去の母権制やディオニシアンなどの痕跡が消え、現代の文明が出現してきた父権的な「太陽の」段階(太陽神アポロンが支配神)。(「ウィキペディア」参照)

 こうした「原始乱婚」から「母権制」、「一夫一婦制」へとの「神話」はもちろん、マルクス主義の「家族論」である『家族・私有財産・国家の起源』でも当然のように踏襲されています。

 しかしながら、このバッハオーフェンの「母権制」を軸とする「家族形態の4段階」モデルは後に、実証主義から反論が出されると影響力を失いました。

 とは言うものの、フロムはあくまでバッハオーフェンの「母権制」という「母性原理」をベースに、自らのフェミニズムとジェンダー論を構築していきます。

フェミニズムのイデオロギーと化す

 バッハオーフェンの『母権制論』を援用しながらフェミニズムの考え方を採り入れたフロムでしたが、「原始乱婚制」も「母権制」も実証性を伴わない仮説に過ぎないものでした。

 ところが、これに飛びついたのが前回も触れたように、ルイス・ヘンリー・モーガンであり、マルクスとエンゲルスでした。

 マルクスのメモを基に書いたとされるエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』では、「無規律性交(フリーセックス=乱婚)の原始共産主義社会」というものは、バッハオーフェンの説いたのと同じ「母権制社会」でした。「参考文献」でも引用しているように、これは、「(誰かわからない父親よりも)母親が誰かが問われた社会」であったものが、「富の蓄積と増大」につれ、「富の生産に従事する男」の発言力が強まり母権制が転覆した、つまり「母権の転覆は、女性の世界史的な敗北であった」とエンゲルスは言い切っています。

 そして母権の転覆で無規律性交社会は崩壊し、男を中心とした家父長的な一夫一婦制の家族制度が出現することになったというわけです。このため、自分の財産を自分の子に相続させるという「男の支配の上に築かれた」のが「一夫一婦制」にほかならないと見ます。

 さらにここから敷衍されて、「歴史に現れる最初の階級対立は、一夫一婦制における男女の敵対の発展と一致し、また最初の階級抑圧は男性による女性の抑圧と一致する」「家族の中では夫がブルジョアであり、妻がプロレタリアを代表する」と断言し、今日の「戦闘的フェミニズム」の根本的なイデオロギーとなっているのです。

 このようなイデオロギーに植え付けられた先入観に支配されてしまえば、誰しも結婚し家庭を築きたいとは思わなくなるでしょう。

 ひいてはむしろ「同性」の方が理解し合える、と思い詰めても不思議ではありません。その意味で、既にマルクス=エンゲルスの時代から「家庭破壊という思想的遺伝子」を共産主義思想が保有していたことにほかならないのです。

 確かに、様々な歴史的遺物からバッハオーフェンの「母権制」を正当化するような状況は散見されます。それが「地母神信仰」で、欧州でもキリスト教化以前の「異教」時代の遺跡には「地母神」「母性」信仰が見られてきました。ビーナスやイシュタル、ガイア、キュベレー、デメーテル、アルテミス、ナルトゥス、インドのデーヴィなど。

 しかし、地母神信仰があったからすなわち母権制社会だという結論は早計です。そもそも、「地母神」に対しては多くの場合、その対概念として「天空神」が存在したからです。「豊饒の神」とされた地母神に対し、天空神は、精神性や創造を司る存在として、遊牧民の間では「父なる天」と見なされたとされます。それは一神教に通じるものでもあり、決して母権制の証拠とは言えないのです。

(「思想新聞」2026年7月1日号より)

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